2013年9月27日金曜日

『プールを歩いて渡った少女』


読売新聞の「窓」という欄に掲載されたお話です。



広島市の女子高校生のA子さんは、小児マヒが原因で足が悪い女の子でした。

A子さんが通う高校では、毎年7月のプール解禁日に、クラス対抗百メートル水泳リレー大会をしています。

男女二名ずつがそれぞれ25メートル泳ぐ競技です。

A子さんのクラスでこの大会の出場選手を決めていた時、女子一名がどうしても決まりませんでした。



早く帰りたいクラスのボスは
「A子はこの三年間、体育祭、水泳大会に一度も出ていない。最後の三年目なんだから、お前が参加しろ」
といじわるなことを言い出しました。

A子さんは誰かが味方すると思ったけれど、女生徒は何か言えば自分が泳がされると思い、みんな口をつぐんでいます。

男子生徒もボスのグループに憎まれたくないから、何も言いませんでした。

そして、結局泳げないA子さんが選手になったのです。



彼女は家に帰り、お母さんに泣きながら訴えました。

するとお母さんは
「お前は来春就職して、その会社で何かできない仕事を言われたら、また泣いて私に相談するの?そしてお母さんがそのたびに会社に行って、うちの子にこんな仕事をさせないでくださいって言いに行くの?」
そう言ってすごく怒り、A子さんを突き放しました。

A子さんは部屋で泣きはらし、25メートルを歩いて渡る決心をし、そのことをお母さんに告げに行きました。

するとお母さんは仏間で
「A子を強い子に育ててください」
と、必死に仏壇に向かって祈っていました。



水泳大会の日、水中を歩くA子さんを見て、まわりから笑い声やひやかしの声が響きました。

彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時、一人の男の人が背広を着たままでプールに飛び込み、A子さんの隣のコースを一緒に歩き始めたのです。

高校の校長先生でした。
「何分かかってもいい、先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。恥ずかしいことじゃない、自分の足で歩きなさい」
そういって励ましてくれたのです。



一瞬にしてひやかしや笑い声は消え、みんなが声を出して彼女を応援し始めました。

長い時間をかけて彼女が25メートルを歩き終わった時、友達も先生も、そしてあのボスのグループもみんな泣いていました。



読売新聞社記者、大谷昭宏氏の話
夢の卵の孵し方・育てかた』 仲田勝久著、致知出版社より


0 件のコメント:

コメントを投稿