僕の母には、弟が居たそうです。
母の実家に行くと、仏壇に飾られた写真の中に、一枚だけまだ幼い少年の写真があるのですが、それが母の弟だと知ったのは、僕が随分大きくなってからのことでした。
生きていれば僕の叔父にあたるその人を、僕は「写真のおじちゃん」と教わってきました。
写真のおじちゃんがどうして「写真のおじちゃん」になってしまったのか。
つまり、どうして若くして命を落としてしまったのかを詳しく聞くことが出来たのは、実は今から数年前のことでした。
母方の祖母が体調を崩して入院してしまったときに、ふと母からこんな話を聞いたのです。
「ばぁちゃんは、息子が亡くなった時に着ていた服を、今も大事にしまってある。自分が死んだときには、それも一緒に燃やして欲しいとずっと言ってきたんだよ。」と。
そのときです。
当時何があったのかを初めて聞くことになったのでした。
その頃、母と弟はちょうど夏休みを迎えていました。
地区の皆で海に海水浴へでかけたのだそうです。
祖母は一人家で留守番をしていました。
子供たちにとって、海は夏休みの醍醐味でしょう。
みんなが思いっきりその日一日楽しみました。
青い海はどこまでも広く、遠くには船が小さく浮かんでいます。
そんな情景が、聞いている僕の頭にも鮮やかに浮かんできました。
賑やかな子供たちの声まで聞こえて来るようです。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰る時が近付いてきました。
母は、近くで泳いでいたはずの弟の姿が見えないことに気が付きました。
引率役の父兄たち、そして海の家の人たちも皆総動員で弟を探したそうです。
そして、立ち入ってはいけない遊泳禁止の岩場の底で息絶えている弟の姿を見つけたのだそうです。
母は、自分の弟の遺体が海から引き上げられる様子を見たのです。
祖母は、元気に朝出かけていったはずの息子を、遺体とういう形で迎えることになったのです。
その時の様子は、とてもじゃありませんが聞けませんでした。
そんなことは、聞かなくとも分かります。
ふくよかでいつも威勢がよく、笑い声が大きい祖母。
その祖母が受けた衝撃、そして母が背負った悲しみ。
祖父の怒りや喪失感。
それを言葉に表すことはとても出来ません。
夏がすぎて秋が来た時、農家だった祖父は稲刈りのために田んぼへ向かいました。
そこに、一列だけ不恰好に並んだ稲の列を見ました。
それは、息子が植えた稲たちでした。
それを見たとき、祖父はその場で泣き崩れたそうです。
春に生きていた子が秋には居ない。
その事実に、きっと祖父はずっと耐えてきたのでしょう。
一家の大黒柱として、家族を支える立場として、息子を失った悲しみを心の奥に隠して我慢してきたはずなのです。
しかし、息子が生きてきた軌跡を思いがけないところに見てしまったその時の祖父が、涙をこらえることが出来なかったということ。
それが、僕の胸にも痛いほどに刺さりました。
そんな祖父は、僕が生まれてすぐに癌でこの世を去りました。
ですから、僕には祖父と叔父の記憶と言うものがないのです。
家族の中で頼るべき存在、愛すべき存在を早いうちに二人も亡くした祖母。
今の明るく強い祖母がどう乗り越えてきたのか。
それを聞くことは、なぜだかいけないことのような気がして今でも聞くことが出来ません。
気が強い祖母のことが、小さいときはすごく苦手でした。
きちんとしなければ怒られる、そんな気持ちでいつもピリピリしていたものです。
一度は、あまりにも祖母の家に居るのが嫌で、具合がわるくなってしまったことさえありました。
ですが、そんな祖母も年々小さくなり、いつの間にか僕のほうが口でも負けないようになってしましました。
そのため、祖母が入院したときはまさかこのまま…。
という気持ちが胸をよぎりましたし、そんな時に聞いた母の弟の事実は僕をなんとも言えない気持ちにさせたのでした。
海で亡くなった息子が、きっと最期に迎えに来てくれる。
その時にまた再会できることを楽しみにしている祖母。
けれども、僕はまだ祖母に、息子のところに行ってほしくはありませんでした。
祖母と、亡くなった叔父には申し訳ないけれど、まだ再会するのは早すぎる、と、ずっと祈っていました。
なんとか峠を越した祖母。
しばらく入院した後、無事に家に戻ってくることができました。
僕は仏壇に座り、亡くなった叔父と祖父にお礼を言いました。
そして、母にそっくりの顔で笑う「写真のおじちゃん」にお願いしました。
「まだまだ寂しいかもしれないけれど、お母さんを迎えに来ないでね。」と。
なんとなく、「写真のおじちゃん」が、「仕方ないなぁ。」と笑ったような気がしました。
必ずくるであろう最期の瞬間。
祖母がその時を迎えるとき、きっと「写真のおじちゃん」があの頃のままの姿で笑いながら迎えにくることでしょう。
死ぬことが怖くない、あの子に会えるんだからむしろ楽しみだ、と笑う祖母。
でも、出来ることなら、その祖母の笑顔をあともう少このまま見ていたいと願うのでした。