静(しい)ちゃんへ
おわかれの時がきました。
兄ちゃんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、沖なわの海に散っています。
思いがけないお父さん、お母さんの死で、幼ない静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるして下さい。
兄ちゃんのかたみとして静ちゃんの名であづけていたゆうびん通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上るときにつかって下さい。
時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。
兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。
もうプロペラがまわっています。さあ、出げきです。ではお兄ちゃんは征きます。
泣くなよ静ちゃん。がんばれ!
兄ちゃんより
「大野沢威徳からの手紙」(万世基地から)
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大石静恵ちゃん、とつぜん、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。
わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。
伍長どのは今日、みごとに出げきされました。
そのとき、このお手紙をわたしにあづけて行かれました。おとどけいたします。
伍長どのは、静恵ちゃんのつくったにんぎょうを、大へん大事にしておられました。
伍長どのは、突入する時に、にんぎょうがこわがると可哀そうと言って、おんぶでもするように背中につっておられました。
飛行機にのるため走って行かれる時など、そのにんぎょうがゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。
伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしよに居るつもりだったのでしょう。
同行二人・・・・仏さまのことばで、そう言います。
苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽっちではない。
いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。
伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。
けれど、今日からは伍長どのが静恵ちゃんの”仏さま”になつて、いつも見ていてくださることゝ思います。
伍長どのは勇かんに敵の空母に体当たりされました。
静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出してべんきょうしてください。
さようなら
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旧かな使いは読み辛いので直しました。
彼らの胸の内を思うと何とも切ないものがあります。
私自身、涙を誘う遺書の類は出来ることなら接したくはないな、と思うのですが、もう一人の私は、一人でも多くの若い人にこういった遺書を読んでもらいたいのです。
戦争のことなど歴史の授業でほんの少し触れるだけで、若い人の中には、かつて日本がアメリカと戦争したことすら知らない輩もいると聞きます。
年表だけで戦争を知るのではなく、戦争に涙してもらいたいのです。
当時の若者の運命、生命を翻弄した戦争の非情さ、残酷さを知っていてもらいたい。
またそれを語り継いでもらいたいと願うものです。
それが彼らの生きた証になるのですから。
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