2013年11月27日水曜日

『卒業文集最後の二行』



傲岸で不遜きわまりない性格の私は「たまには反省しても、決して後悔はすべきではない」と自分に言い聞かせて、それを生活信条としている。

だが、こんな私でもこの場を借りて懺悔したい、いや、せずにはいられない出来事がある。

深い後悔、取り返しのつかない心の傷だ。



時は、青森県五所川原市の小学校時代にさかのぼる。

同級生にT子さんという女の子がいた。

彼女は早くしてお母さんを亡くし、二人の弟さんの面倒もみなければならなかった。



お父さんは魚の行商である。

仕事があまり芳しくないようで、経済的にも恵まれず、その頃の時代にしても彼女の服装はみすぼらしいというより、正直言って汚かった。

今にして思えば、母親がわり妻がわりという生活環境から、自分の身の回りをかまっているどころではなかったのだろう。



生意気で口の悪い私は、先頭になって彼女をけなした。

そのT子さんが、6年生のとき私の隣になった。



「きたねえから、もっと離れろ」

「シラミを移すなよ」(当時でもシラミはいなかった)

この私の言葉にまわりの悪童達は、さらにはやしたてた。



「魚の生ぐさい臭いがしてくるから、T子に寄るな」

「T子、同じ服を何週間着てるんだバ」

「毎日風呂さ入って頭洗って、シラミさ取って来い」



こうした嫌がらせ、いじめに彼女は涙を見せずに歯をくいしばって、じっと耐えていた。

泣いたりするともっといじめられると思ったのであろう。

担任に告げ口もしなかった。



我々はそれを知って、さらに輪をかけて口汚くののしり続けた。

そんなある日、クラスで漢字の小テストが行われた。

どうしても書けない漢字が、私に二個あった。



私はT子さんの答案用紙を覗き、カンニングした。

後日、答案返却があり、その際に先生が私を誉めてくれた。

「イチノヘ、よく頑張ったな。満点はお前ひとりだけだぞ」



私は後ろめたさを少し感じたが満足だった。

その後、愕然となった。T子さんは1個だけの間違いで98点なのだ。

私がカンニングをしなければ、彼女が最高得点者となる。





「さすがイチノヘさんね。おめでとう」

「ハハ、問題がやさしかったからな」

まったく愚かで、鼻持ちならない私、実に情けない。



30年を経た今でも慙愧(ざんき)に耐えない。

さらに、彼女にひどい追い打ちが待っていた。

授業の後、悪童どもが



「イチノヘの答えを見て書いたんだろう」

「お前が98点も取れるわけがねえよ」

「カンニングしてまで、いい点を取りたかったのか」



私も連中の尻馬に乗る発言をしてしまった。

「やっぱり、おめえは私の答えを見たんだろう。見だに決まってる。ずるいと思わねえか」

「私はイチノヘさんの答えを見でいません。着てるものは汚えかもしれないが、心は汚ぐねえ」



「どこまでワをいじめれば、気がすむの!」

とその場から泣きながら外へ飛び出して行った。

悪童どもは彼女の初めての涙に言葉を失った。



「卒業文集」のT子さんの作文の最後の二行である。

『・・・私の今一番欲しいのは母ではなく、本当のお友達です。そしてきれいなお洋服です』



現在、私は圧倒的に女子の多い大学で教壇に立っているが、機会あるごとに後悔と反省の気持ちから、この小学校時代の「悪事」を語って聞かせることにしている。

反面教師といわれようとも、せめてもの罪ほろぼしとして。

ただ語るたびに困ることがある。



喋っている私が学生の前で、つい涙を見せてしまうことと、聞いている学生も泣き出してしまうことである。

あの「卒業文集」の最後の二行は、大きな衝撃だった。

大いなる悔いを与えてくれた。あの二行を読まなかったなら、現在の私はどうなっていたであろう。

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新潮社 心に残るとっておきの話〈第2集〉 より




原文の文量は上記の2倍はあるのですが、長くなるので中略してあります。

現在は、学校における「いじめ」が大きく社会問題となっている。



担任を信頼していないことや「告げ口」したことによる反動を恐れるために、子供の世界のいじめは把握しにくい。

抵抗、反抗しない弱者に対して、いじめは益々エスカレートしていく。

学校の道徳授業に対して、「価値観の押し付けだ」という、伝統的な批判がある。



単に『いじめはダメですよ』と教師が言いたいことをストレートに言うだけでは、生徒の心に伝わらない。

そのことが伝わる資料を探して、生徒自身が問いを重ねることで気付かせる。

その方が生徒はよく考える。



そうしたことからその資料になったのが、ここに掲げた『卒業文集最後の二行』である。

複数の道徳副読本に採用されているという。



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