傲岸で不遜きわまりない性格の私は「たまには反省しても、決して後悔はすべきではない」と自分に言い聞かせて、それを生活信条としている。
だが、こんな私でもこの場を借りて懺悔したい、いや、せずにはいられない出来事がある。
深い後悔、取り返しのつかない心の傷だ。
時は、青森県五所川原市の小学校時代にさかのぼる。
同級生にT子さんという女の子がいた。
彼女は早くしてお母さんを亡くし、二人の弟さんの面倒もみなければならなかった。
お父さんは魚の行商である。
仕事があまり芳しくないようで、経済的にも恵まれず、その頃の時代にしても彼女の服装はみすぼらしいというより、正直言って汚かった。
今にして思えば、母親がわり妻がわりという生活環境から、自分の身の回りをかまっているどころではなかったのだろう。
生意気で口の悪い私は、先頭になって彼女をけなした。
そのT子さんが、6年生のとき私の隣になった。
「きたねえから、もっと離れろ」
「シラミを移すなよ」(当時でもシラミはいなかった)
この私の言葉にまわりの悪童達は、さらにはやしたてた。
「魚の生ぐさい臭いがしてくるから、T子に寄るな」
「T子、同じ服を何週間着てるんだバ」
「毎日風呂さ入って頭洗って、シラミさ取って来い」
こうした嫌がらせ、いじめに彼女は涙を見せずに歯をくいしばって、じっと耐えていた。
泣いたりするともっといじめられると思ったのであろう。
担任に告げ口もしなかった。
我々はそれを知って、さらに輪をかけて口汚くののしり続けた。
そんなある日、クラスで漢字の小テストが行われた。
どうしても書けない漢字が、私に二個あった。
私はT子さんの答案用紙を覗き、カンニングした。
後日、答案返却があり、その際に先生が私を誉めてくれた。
「イチノヘ、よく頑張ったな。満点はお前ひとりだけだぞ」
私は後ろめたさを少し感じたが満足だった。
その後、愕然となった。T子さんは1個だけの間違いで98点なのだ。
私がカンニングをしなければ、彼女が最高得点者となる。
「さすがイチノヘさんね。おめでとう」
「ハハ、問題がやさしかったからな」
まったく愚かで、鼻持ちならない私、実に情けない。
30年を経た今でも慙愧(ざんき)に耐えない。
さらに、彼女にひどい追い打ちが待っていた。
授業の後、悪童どもが
「イチノヘの答えを見て書いたんだろう」
「お前が98点も取れるわけがねえよ」
「カンニングしてまで、いい点を取りたかったのか」
私も連中の尻馬に乗る発言をしてしまった。
「やっぱり、おめえは私の答えを見たんだろう。見だに決まってる。ずるいと思わねえか」
「私はイチノヘさんの答えを見でいません。着てるものは汚えかもしれないが、心は汚ぐねえ」
「どこまでワをいじめれば、気がすむの!」
とその場から泣きながら外へ飛び出して行った。
悪童どもは彼女の初めての涙に言葉を失った。
「卒業文集」のT子さんの作文の最後の二行である。
『・・・私の今一番欲しいのは母ではなく、本当のお友達です。そしてきれいなお洋服です』
現在、私は圧倒的に女子の多い大学で教壇に立っているが、機会あるごとに後悔と反省の気持ちから、この小学校時代の「悪事」を語って聞かせることにしている。
反面教師といわれようとも、せめてもの罪ほろぼしとして。
ただ語るたびに困ることがある。
喋っている私が学生の前で、つい涙を見せてしまうことと、聞いている学生も泣き出してしまうことである。
あの「卒業文集」の最後の二行は、大きな衝撃だった。
大いなる悔いを与えてくれた。あの二行を読まなかったなら、現在の私はどうなっていたであろう。
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新潮社 心に残るとっておきの話〈第2集〉
原文の文量は上記の2倍はあるのですが、長くなるので中略してあります。
現在は、学校における「いじめ」が大きく社会問題となっている。
担任を信頼していないことや「告げ口」したことによる反動を恐れるために、子供の世界のいじめは把握しにくい。
抵抗、反抗しない弱者に対して、いじめは益々エスカレートしていく。
学校の道徳授業に対して、「価値観の押し付けだ」という、伝統的な批判がある。
単に『いじめはダメですよ』と教師が言いたいことをストレートに言うだけでは、生徒の心に伝わらない。
そのことが伝わる資料を探して、生徒自身が問いを重ねることで気付かせる。
その方が生徒はよく考える。
そうしたことからその資料になったのが、ここに掲げた『卒業文集最後の二行』である。
複数の道徳副読本に採用されているという。
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