2013年10月9日水曜日

『医者になる決意』



高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と

居間に呼び出されました。



お父さんが癌で、もう手術では治りきらない状態であると。



暑さとショックで、頭がボーっとしてて、

変な汗が出たのを憶えています。



当時、うちは商売をしていて、借金も沢山ありました。

お父さんが死んだら、高校に通えるわけがない事は明白でした。

そしてわたしはお世辞にも優秀とはいえませんでした。

クラスでも下位5番には入ってしまう成績でした。



その夏から、お父さんは、抗がん剤治療を開始し、

入退院を繰り返していきました。

メタボ体型だったお父さんが、みるみる痩せこけていきました。



母親の話では、主治医の見立てでは、

もって1-2年だろう、という事でした。

ただ、お父さんは弱音を吐く事はありませんでした。



お父さんは

「高校、大学はなんとかしてやるから、しっかり勉強しろよ」

って言ってました。



仕事もやりながら、闘病生活を続けていました。



わたしといえば、目標も特になく、

高校中退が頭にチラついて勉強は進みませんでした。

ただ、ボーっと机に向かって、勉強するフリだけはしていました。

せめてお父さんを安心させるためだったと思います。



だから、その後の成績も、

とても期待に添えるものではありませんでした。



ただ、お父さんの

「高校、大学はなんとかしてやる」

の言葉が、重かったです。



「おまえ、将来、何かやりたい事はないのか?」

高校2年の冬、痩せこけたお父さんに問いかけられました。






わたしは、期末テストで学年ビリから2番をとり、

担任からも進路について厳しい話をされていました。

言葉もないわたしに、怒ったような泣いたような顔でお父さんは言いました。




「・・・ないなら、、医者になれ! 
・・・勉強して、医者になって、おれの病気を治してくれ!」




上手く説明できない熱い感情に、頭をガツンと打たれました。

自分への情けなさとか、怒りとか、

色々混じったものが込み上げてきました。



その時、お父さんには返事を返す事はできませんでしたが、

わたしは決意しました。
それから、猛烈に我武者羅に勉強しました。



高校3年の夏、お父さんは亡くなりました。



お父さんは、闘病生活の2年間で借金を整理し、

わたしの高校の学費をなんとか工面したそうです。

お父さんのおかげで、高校卒業できました。



そしてありがたい事に、1年間の浪人生活を経て、

わたしは地方の国立大学の医学部に合格しました。



わたしは今、癌専門治療医として働いています。



お父さんは、

「あいつは、将来おれの病気を治してくれるんだ」と

母に言ってたそうです。



まだ、お父さんの癌を治す力はありませんが、日夜頑張っています。



いつか、お父さんの癌を治せるように。




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